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2011年 04月 02日
引越し作業により、4月7日までネット接続できない為、メール受信ができません。またすでに3月16日にパソコンを梱包してしまった為、それ以降にkataoka@ka-ga-ya.jp及びinfo@ka-ga-ya.jpに頂いたメールも4月7日迄読むことができません。引越し作業が最後非常に慌ただしくなってしまい、お知らせできていませんでした。ご心配とご迷惑おかけした方には申し訳ありませんでした。携帯からブログにアクセスのみできる状態です。その間ご連絡はpeekaboo.3ho-k@docomo.ne.jpにお願いします。
2011年 03月 25日
我が子へ
哀しみは強さに 寂しさは優しさに あなたが友達と過ごしたとびきり楽しかった時間こそが あなたの心をいつまでも明るく照らし あなたの心をどこまでも豊かにしてくれる 友よ ありきたりな言葉だけど あなたに会うのがいつも本当に楽しみだった こんなに心許せて ありのままの私を全部わかってくれる こんな大切な人はいない また東京に会いに行けるように いつか一緒に成し得るように ずっと繋がっていられるように 仕事も勉強も頑張る いつかあなたの力になれるように 神戸へ向かう新幹線にて # by ka-ga-ya | 2011-03-25 19:59
2011年 03月 03日
私ごときがなんとも大胆なタイトルを掲げましたが、単なる思いつきや気分で書いているのではなく、2、3年かけて到達した現在の私見です。前回、現代多くの日本人にとって最小宗教単位が家族でしかない、という園監督の記事を紹介しました。
「そもそも人間とは宗教的な動物である」これは作家・外交官のかたわらモスクワ大学、東京大学で教鞭もとる佐藤優著『はじめての宗教論』からの引用です。 新興宗教と混同されたくないので説明しておくが、まず「宗教」とは、何らかの霊的存在への信仰である。キリスト教であれイスラム教であれ、絶対的な存在、普遍的な存在への信仰であると言える。一方「哲学」というのは、簡単に言えば、神は存在するのか?人間とは何か?生きるとは?というようなことを究める学問のことである。 私は人間の精神性を支えるものは普遍なるものへの信仰あるいは依存ではないかと思う。 私達は人生を通して、愛や友情、自己の確立といった目に見えないものを求めて生きている。目に見える金(カネ)だけを求めて生きている人はそう多くはないだろう。しかし、愛や友情はもちろん普遍ではない。月日の経過で移ろいやすい。あるいは相手の死でもって失うこともある。愛も友情も地位も名誉も若さも何もかも普遍ではない。では何をもって普遍とするか?唯一、人間は死ぬ、これは絶対的事実である。しかし死を拠り所にはできない。それは恐怖に怯える生き方になってしまう。では他に普遍なるもの、それは唯一神の存在への信仰、もしくは、高等な教育を受けていれば哲学、しかないのではないか?それは人間という生き物が高度な知能を持った時点での宿命、あるいは性なのではないだろうか。 先程の続き、「基本的に宗教的動物である人間は、もし唯一の神の存在を否定するなら、その場合には自ら偽りの神々、偶像をつくり、それらを崇拝する」のである。つまり、人間は何かを崇拝して、何かを信じて生きていく、その方が自然で楽なのである。最近うちの子供達が読みふけっているのが漫画の『ワンピース』、仲間との友情や生き方、反体制的な世界観がちりばめられていて、とてもおもしろい。現代の日本の子供達はせいぜい親からの躾け程度の道理しか学んでおらず、他に信仰をもっていないから、これに熱中するのも一種の崇拝なのだと思う。 「我は神なり」…織田信長ともなれば自分を信じることで自己アイデンティティーを確立できるのかもしれない。しかし、凡人はそうはいかない。因みに、神?そんなもの必要ない、何にも頼らない、教えも必要でないというのは、哲学者キルケゴールが言うところ、絶望的な状況にあってもそれに気付かない最低のカテゴリーの絶望だそうだ。子供達が(自分も含めて)崇拝すべき対象を正規の教育として教えられないまま成長すると、もっと安易な偶像を崇拝してしまう。例えば、組織やグループ、特定の人物や依存的な愛、情報、メディア、ゲーム、麻薬… かつて人類が誕生し、小さな集団生活を始め、それが少し大きな国や社会へと発展していくときに、まず最初に必要となったのは、自然科学や建築工学などではなく、宗教であった。神の教えは人間に理性と知性を与え、精神性を高めることができる。それがなければ社会は成立しない。 再び『はじめての宗教論』に書かれてあることだが、「教養というのは、自分の頭で考えていく創造的な能力です。それは伝統と哲学あるいは宗教といった文化の中から生まれてくる」とある。私達日本人にも、儒教や神道、仏教的な独自のものの見方の総合体のようながあり、近代、戦前くらいまでは、そこから道理を学んでいた。江戸時代末期、明治、日本人の精神性は非常に高かった、これは来日した諸外国が驚き、認めるところである。しかし、今の日本にはそれがない。失ってしまったのだ。ビジネスの世界では、日本人とは技術の話はできても、それ以外の話はできないと批判され、かつてはエコノミックアニマルなどという屈辱的なレッテルを貼られもした。模倣は得意だが創造はできないとも。 現代の社会の閉塞感を打ち破るのは、科学や合理性ではない。そんなものは十分試されてきた。近代、それは貨幣の絶対的価値観、市場経済であった。しかし、こうした目に見える実体のみに重きをおくシステムは既に成熟しきってしまったのだ。この閉塞感、希望のなさは、世界の秩序が変わろうとしているサインかもしれない。 民主党がマニフェストに掲げる構造改革、事業仕分には期待したが、沖縄の基地移設問題で失敗し、マスコミに叩きに叩かれ、いまや空中分解しそうである。いやしたのか。しかし、国会議員を選ぶのは国民である。国会議員の質の低下を憂うなら、それを選ぶ国民の質が低下しているのである。国家の構造改革を遂行するなら、まず国民の意識改革が必要なのではないか?マスコミが連日放送する議員の失態を国民がテレビを見てせせら笑っているようでは、改革などできるはずがない。 近い未来か遠い未来か… 私達の心にかつての高い精神性を取り戻し、人間愛に基づく行動で社会が動き、国家が変わる日が来てほしいと思う。 いま私達ができること、いや私がすべきことは未来を創造できる教養を備えることである。教養とは、伝統、哲学、宗教から生まれる。少なくとも私はそのようにこれからも学びたいと思うし、子供にも自己の中に大いなる普遍性を見出し、安易な他者への依存ではなく、独立心をもって個を尊重できるようになる、そんな教育をしたいと思っている。 2011年 01月 12日
ここ1年くらいずっと考えていることがある。
今の私にはまだキーワードでしか表現できないけど、それは、 「宗教」 「人間」 「日本人」 「教育」 「家族」 まだ文章にできるレベルではないが、もっと温まったら書きたいと思っている。 今日の日経新聞夕刊文化面に載っていた映画監督、園 子温(その しおん)さんの インタビュー記事。 ものすごく共感したので、そのまま抜粋します。 ************ バブルが終わって、21世紀になって、日本では社会情勢の流れの中にしか個人がないということに気づいた。自分がこう思うということの90%ぐらいは社会の中で思わせられている。1999年にアメリカで1年過ごし、遠くから日本を眺めてみて、それまで考えていたことが、日本という国の空気感の中で考えさせられていたんだと自覚した。 2001年は節目の時代だったと思う。その後の10年でここまで社会が悪くなる、閉塞感が強まるとは思わなかった。当時は危機感をもってネット社会を描いたが、今はその大変な時代をどう生き抜くかということを考えている。 欧米に比べ宗教意識の薄い日本人にとって「最も濃い人間関係」である家族。その崩壊が現代日本の迷走を映し出す。ぼくは日本の家族は最小単位の宗教だと思う。父親は教祖。ただその戒律は緩いので、テレビから流れてくる情報と違うことに子供たちはすぐに気づいてしまう。父親に対する幻想も消えて、この宗教はかなりの短さで終わる。 そこから子供たちはどう飛び出し、解放されていくかというと、実はそんなに個というものを確立できる社会ではないので、もう一つの新たな宗教を探しているだけなのだ。それがオウムであったり、何かの会社であったり、ある組織の中で生きる自分を探す。それが良い悪いではなく、約束事や戒律のあるもう一つの輪の中に入って安息せざるを得ない。こんなに価値観が錯綜する社会で、どこにも属さずに個として生きるという欧州的な考え方は無理だ。 すべての価値観があやふやな日本という国の中で、流されるだけ流されて、巨大な流行とかブームとか、団体、思想、どこかに依存しないと息ができない。そういう意味で日本の家族は常に危機にさらされている。 ************ 彼が撮った映画、現代日本の崩壊する家族を通して究極の愛を描いた『冷たい熱帯魚』が29日から公開されるそうだ。見てみたいと思った。 2010年 12月 23日
今日は年末の帰省のお土産&お歳暮用に注文していた品が届きました。
![]() 手作り石鹸の詰め合わせです。あと自宅用にも少々。 かわいくて、、香りがあんまりよかったので、思わず撮りました。 『暇楽』(からく)という福岡の石鹸屋さんから取り寄せたものです。 私が福岡にいるときにできたお店で、何度か足を運んだことがあるのですが、 今までいろいろ試しましたが、ここの石鹸が一番好き! エッセンシャルオイルをふんだんに使っているんだろうなと思います。 精油をけちっていたり、たくさん入れてても時間と共に香りって飛んでしまいやすいのですが、暇楽さんのはいつも香りがちゃんとついていて、泡立ちもしっとり感も抜群です。 またロケーションがとびきりよくて、福岡市内から車で1時間程の、人がほとんどいなくて、 自然がいっぱいののどかな糸島半島の海岸沿いにあり、道路をはさんだ店の前が浜辺という、確か建物もご主人の手作りだったかな?素敵なお店です。 オープンした時は、アロマ仲間の間でも一時話題になり、このお店と石鹸に憧れて、 手作り石鹸にはまってしまった人も少なくない、、、かく言う私もそのうちの一人。 暇楽さんを皮切りに、福岡では手作り石鹸ブームが巻き起こり、 糸島半島だけでもその後立て続けに何軒が石鹸屋さんができていました。 あれから数年、、でもやっぱりいいものを作られているところは残っていくんですね。 今度博多阪急にも出店されるようです。あ~行きたいなぁ~ 私は普段洗顔や体を洗うのも、手作り石鹸を使っています。 時間に余裕があれば、自分で作るのですが、間に合わないときは買っています。 手作り石鹸のいいところは、何といっても天然のエッセンシャルオイルの香り。これは他の合成洗顔料では味わえません。それからキメの細かい泡立ちと、植物オイルの持つ肌なじみのよい保湿力です。 石鹸にしては少しお値段高めの、プチ贅沢。 こんな自分が長く使って本当によかったものを、お世話になった方に贈る…私の愉しみのひとつです。 『暇楽』 http://www.ka-la-ku.com/ 2010年 09月 16日
先日、雑誌『クロワッサン』に掲載された女優の中谷美紀さんの記事を読みました。
きれいな人はどんな毎日を過ごしているか?というテーマでインタビューされた内容で、中谷さんは、腸内環境を整えるために無農薬のりんごを毎日1個食べていたり、できれば日の出とともに起きて日没とともに眠るようにしている、とか。その中で、ホメオパシーについても触れ、半年程悩まされた夜中に出る咳が、きちんと選んでもらったレメディの最初の1粒で止まったということを話されたそうです。 ここ1カ月程の過熱するホメオパシー批判の中、ホメオパシーを愛用しながらもコメントを控えている著名人も多い中で、中谷さんの凛とした姿勢に、外見だけでない内側からの美しさと強さに心服しました。だからあんなにきれいなんだ!おそらく世間の評価や周りが自分をどう見るか、ではなく、自分自身がどう生きたいと思うか?これだけの記事の中ですが、中谷さんの潔さに魅せられました。本当に素敵です。 私はというと…我が家は日経新聞で、日経は一連のホメオパシー騒動からは距離をおいているようで、実はあまり伝わってきていませんでした。ですが、8月の終わりにはついに朝日新聞の一面で報道されたこともあり、友人が心配して連絡してきてくれたり、あるいは親戚に至っては私が新興宗教に騙されているのではないかとこれまた心配されたり(朝日新聞の書き方が書き方でしたから)、なので、そういう私の大切な方へ向けて私も私の姿勢をブログに載せておこうかな、と思いました。 あまり伝わってきていないと言いましたが、もちろん、ホメオパシーの学校の方からは、情報や注意点は届いていました。個人で軽はずみな発言はしないように、ブログも含めて、だと思います。ただ、私はホメオパシージャパンを信じているわけではなく、自分が実際に経験したことを信じているだけなので、ひとりのユーザーとして、以下は私が8月13日に朝日新聞に送ったメールです。メールを公開するのは、ちょっとどうかな?と思いましたが、朝日新聞社からはリアクションはなかったので、私の考えが一番まとまっているので、いいかなと思います。 ********** 朝日新聞社 長野 剛様 はじめまして、片岡美穂と申します。 先日のホメオパシーの記事のことを友人から知り、ホームページの方で拝見し、こちらのアドレスにメールさせて頂きます。ホメオパシーを使って効果があったという内容ですので、御社長野様の意図することとは異なると思いますが、どうしても体験したことをお伝えしたかったので、どうぞお許し下さい。 私は以前アロマセラピーやハーブを扱う大手の販売&スクールでアロマの講師をしており、その時にホメオパシーを知りました。当時は正直効かないと思いつつも、自然療法のひとつとして、授業の中で紹介するコーナーがありましたので、基本的な使い方やホメオパシーの成り立ち、ヨーロッパやインドなどでは広く手軽に使われている、というようなことは知っていました。 3年前、福岡から東京へ主人の転勤で引っ越してきた頃から、当時6歳だった息子の喘息がひどくなりました。赤ちゃんのころにはアトピー、3歳ころから喘息と診断されましたが、投薬によってうまくコントロールしていたはずが、急激に悪化し、咳の発作と止まらない痰、鼻水、毎日夕方には声が嗄れてでなくなるという状態が一年近く続き、毎週の通院、朝晩の抗アレルギー薬、ステロイド吸入など、薬はどんどん強くなっているのに、一向に効かず、暗澹たる毎日でした。 そんな折に、たまたま出会った友人が、ホメオパシーをうまく使っていて、その方からホメオパシージャパンを知りました。ホメオパシーなんかでこの状態が治せるわけがないと思っていましたが、効かなくてもただの砂糖玉、危険なことはないことは知っていたので、効けばラッキーくらいの気持ちで、直営の初台センターのホメオパスにかかりました。 結果は予想を裏切り、あれ程苦しんだ発作から数か月で見事に解放されました。その間はじめの半年ほどは、ここは問題となっているところだと思いますが、発熱などの好転反応はありました。しかし、いずれも急性のもので、時間にして数時間~1日程度の熱や下痢等でしたので、いつまで続くのかわからない慢性病に比べたら、これで完治となれば、本当にありがたいものでした。 その後私も、私の方は春先の花粉症がありましたので、これを主訴にかかりました。レメディーを飲み始めて2か月程後に、ものすごい鼻水と咳、まるで花粉症の親玉に罹ったような症状が2日ほどあり、2日でぴたりと治まり、その後その年と翌年マスクも何も無しで全く症状は出ず、極めて健康です。 私には私と息子が経験したことが、どうしてもただのプラシーボだとは思えないのです。 思い込みだとか、つらいことを抱えている人間は盲目的になりついつい信用してしまうと言われたりしているようですが、私は、傲慢に聞こえるかもしれませんが、まがいなりにも理系の修士課程も修め、最低でも物事を客観的に見る程度の教養は身に付けてきたつもりです。 「元の物質の分子がなくなるまで薄めたものに効果がある訳がない」、科学的にあり得ない、それがどういう原理で働くというのか?私もそう思っていました。ですが、息子の喘息が治った、私の花粉症も治った、この自分自身が体験した事実のみを根拠に、レメディーとは何なのか?、果たして奇跡の医療なのか?それともただのニセ科学なのか?自分の目で確かめるためにロイヤルアカデミーに入り、現在学生をしています。自分が一旦惹きこまれたから盲信しようなどとは毛頭思っていません。これがウソだとわかればすぐに辞めるつもりですが、いまだそのようには思える事実はありません。 いまの世の中ではすべてのことが証明できなければ科学ではない、すなわち正しくないと思われているようですが、科学には反証可能性があるのではないでしょうか?ホメオパシーが、現代医学の原理と相対峙してしまう逆境の中で、これほど多くユーザーを集めているのですから、おそらく私のような経験、効いたという事実は数多く集められることだと思います。いまの科学では証明されないけど、実際に観察された事実を基に、新しい仮説が立てられ、どちらが反証を受け、いずれ修正される、それはそれほどおかしなことではないのではないでしょうか。 物質(例えば銅や塩化ナトリウムやあるいはトリカブト…というような)には(エネルギーのような)固有のパターンがあり、それが希釈と振蘯により、そのパターンが増幅される。うまく伝わるかわかりませんが、そのパターンが目に見える形で観察されれば、レメディーの有効性を証明できるのではと思いますが、現代科学では無理なのでしょうか? 日本人の気質的に、マスコミ、特に新聞の影響力は絶大です。「こんな風にマスコミは言っているけど、私は自分が使ってよかったんだからいいわ。自分の方を信じる。」と思う人は少ないと思います。 私は十数年前に母を癌で亡くしたので、こんな風に思うのですが、きっと現代医学で成す術がないと宣告され、わずかな希望をホメオパシーに見出している方もいらっしゃると思います。生きる為には、希望がいると思います。ほんのわずかでも。もしそんな方が記事を読んだらささやかな希望もなくしてしまうかもしれません。 このままの方向で行けば、由井学長が逆境の中で心血を注いで育ててきたホメオパシーを、長野様のペン一本で日本から消滅させることも可能かもしれません。しかし、万一ホメオパシーが正しければ、それは世の中の価値観をひっくり返すことになりますが、副作用もなく、自己治癒力で病気を治す素晴らしい療法です。 本当に数多くの治癒例があると思いますので、それをわずかな、失敗例で完全に否定されることはとても残念です。万一の可能性を、ホメオパシーに鉄槌を振りおろす前に、今一度正当に調査していただけないでしょうか。 ここには書ききれませんが、私は息子と私がレメディーを飲んで生じた経過を最初から現在まで克明に記しています。これは人に見せるためではなく自分の記録として書いたものですから、脚色もしていませんし、本当に事実しか記していません。もし検討していただけるのでしたら、お渡しします。長くなってしまい申し訳ありません。心よりお願い申し上げます。 ********** 2009年 06月 27日
昨年からホメオパシー療法を始め、息子、私とでこの半年あまり
びっくりするような体験を何度か経て、 目からウロコが完全に落ち、 いままさに私はこの春から4年後ホメオパスを目指して、 ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーの学生をしております。 ついに、言ってしまった。 言ったからには、もう後に退くのは女の恥!覚悟の上です。 今になって思えば、福岡から東京へ来たのも、 いろいろなものを捨て去り、ここへ至る道だったのかもしれない。 と確信しています。 とはいえ、最近はアロマや自然療法の活動もちょこちょこと再開。 先日はこの4月に経堂にオープンした生活クラブ生協の子育て広場にて、 『ベビーマッサージとママのための自然療法』と題して ベビーマッサージとアロマやホメオ、フラワーエッセンス、ハーブを使った お子さんのためにできるやさしいケアの方法をご紹介させていただきました。 ![]() ![]() ベビーちゃん達かわいかったですよ~ ちっちゃな手をバタバタ、むちむちのあんよでキックキック! 赤ちゃん久しぶりなので幸せでした。 そして、マッサージ開始前「今朝うんちまだなんです」の二人のベビーちゃんが いたのですが、お二人とも、マッサージ後に即効「出ました!」と。 うれしいですね~ ホメオパシーを本格的に学び始めて、ホメオパスへの道はそう容易くはない、 かけもちで自然療法色々なんてやってたら、この道は究められないことを思い知り、 アロマは心の片隅においておこうか…と、そう思い始めた矢先、 このような形や、9月には某幼稚園でも講習会を承わったり、と思っていたこととは 逆になっているのですが… でもそれも今の私らしいかたちかな、と最近思っています。 肩肘はらず、いまの私の言葉で、伝えられることを、伝えていけばいいか。 それが、ホメオパシーでこの半年、心身共にもの凄いデトックスを果たし、 こだわりも信念もかな~りなくなってきた結果でしょう。 勉強もしなきゃだし、家事もあるし、ブログ書く暇なんてほんとないんですけど、 今日は、人間レメディと称される友達の影響で、ブログ書いてしまいました。 彼女のブログはこちら→ningen-remedy 私も時々登場、探してみて下さい。 ついでに彼女が経営するマタニティーのシルクインナーのサイトがこちら→Peapod 実におもしろい!方ですよ~ 2008年 10月 08日
今日は3日前からひいていた風邪が治った。素人なので全くの憶測だが、これまでの経験から、急激に症状が出てきたのでおそらくウイルス性の風邪。
そして昨日朝起きた上の娘も「なんか体がヘン」…風邪だ。タイミング的にもたぶんうつったのだ。 しかし、同じウイルス(うつったと断定はできないので仮定でしかないがおそらく)でも、私と娘では出る症状が違う。同じウイルスでも人によって出る症状が違うのだ。 私はひっきりなしに出る鼻水、咳、のどの痛み、倦怠感が主な症状だった。 一方娘の方は、熱とのどの痛み。鼻水や咳は出なかった。 ところで私は数ヶ月前からホメオパシーを少し真剣に使っている。 もともとは下の息子の喘息を治したくて始めたが、今は家族で使っている。 ホメオパシー:簡単に説明すると、日本語訳は同種療法とも言い、その原則は「症状を起こす類似のものはその症状を取り除く」。例えば、日本では昔のどが痛いときに首に大根おろしを巻くとよい、だとか、よけいにヒリヒリしそうなしょうが湯を飲むだとか、その症状を起こす物質を摂ることで、症状を抑えつけるのではなく、症状を出し切れるように後押しして、根本的に治癒させるという論理。 ルーツは紀元前のヒポクラテスにあるそうだが、今から200年前、18世紀にドイツ人医師サミュエル・ハーネマンが確立した。 ホメオパシーでは、植物や鉱物、動物の成分を高度に希釈したものを小さな砂糖玉にしみこませたレメディが使われる。これはもとの物質の分子も残っていないほどに薄められている(ただしその物質の情報、エネルギーパターンは残っている)ので、副作用もなく安全だそう。 これだけではわからないと思いますが… 今回の症状に対して、私は、 最初ひっきりなしに出てくる鼻水に→Nat-m.(ネイチュミュア) のどの痛み、ウイルス性→Gels.(ジェルセミューム) 痰、咳に→Ant-t.(アンチモタート) 夜鼻づまりが苦しくて→Kali-bi.(ケーライビック) 症状の停滞に→Bry.(ブライオニア) を使い、 娘の症状には、 最初ひき始めの熱に→Acon.(アコナイト) 熱が上がってきたので→Bell.(ベラドナ) のどの痛み→Gels.(ジェルセミューム) ホメオパシー的に言うと、症状はありがたいものであって、例えば、熱は悪いものではなく、熱は体がウイルスや菌に対して、体温を上げて戦っている証拠。だから熱を解熱剤などで下げたりしない。鼻水も咳も悪いものを体外へ出そうとしているのだから、気管支拡張剤も咳止めも使わない。 今回私は治るのに3日かかり、娘は若い分私よりも治癒力が高いのでしょう、熱をパッと出してさっさとウイルスを排出して、1日で治りました。私は熱が出そうで出せず、代わりに、鼻水や咳で、時間もかかったのではないでしょうか。 息子もそうなのですが、私もアレルギーチックなところがベースにあるので、風邪をひくと長引くのです。それが嫌で、ついつい抗アレルギー薬を飲んでしまっていたのですが、今回それを辞めて、ホメオだけでやってみた結果、風邪の進行と症状をグラフで表せば、きれいな放物線を描くように始まり、ピークを迎え、そして終息していった。おまけに、ここのところ、ブタクサアレルギーぽかったのもついでに治まって、おかしな表現かもしれないが、「実にいい風邪だった」。 欧米では広く利用されている、特にドイツやフランスでは保険適用もされている代替療法だが、一方で、非常に批判もされているみたいです。分子も残ってないものにエネルギーがあるとか、バイタルフォースが…と言っても科学的に証明できませんもんね。 私は、まがいなりにも高校、大学院と理系畑にいたので、非科学的なものにはかなり懐疑的な人間なのですが、ひょっとしたらプラシーボ効果であったとしても、価値はあるのではないかと思っている。 ここからは私の感想だが、ホメオは魔法の薬ではない。ただ体の自然治癒力、バイタルフォースにスイッチを入れてあげるだけのもの。薬を使うと薬に頼ってしまって、体が自分で何もしなくなる。しかし、ホメオは良くてスイッチを入れるきっかけくらいなので、ホメオを使って治ると、自分で治癒した、体が病気を克服した感がある。これが積み重なって本来の自己治癒力を高めることになるのではと思います。 アロマはリラックスを目的としているが、ホメオは病気の治癒を目的としている分、使うとなるとそれ相当の理解と信念、知識が必要となるので、気軽にちょっとやってみる、だけではうまくいかないような気がするので、私も、お勧め!とは言いませんが、興味持たれたら、やってみる価値ありではないかと思います。いま息子の喘息等々にも使っているので、これは半年やそこらで結果が出るものではないみたいなので、時間がかかるかもしれませんが、経過もまた報告していきますね。 先日亡くなった俳優の緒方拳さん。肝臓がんに罹っていたが、最後まで手術や入院をせず、役者として生きた。すごい尊敬します。自分もそんな風に最後まで自分として生きられたらと思います。母のときにも思いましたが、その時の年齢にも寄りますが、もし自分ががんにかかっても手術はしたくないと改めて思いました。これは話し出すとまた長いのでこの辺で。 2008年 09月 23日
「きちんとていねいに生きる、生活する」
いま心がけていることです。 数ヶ月間ほどどうにも気が滅入ってしまって、毎日だるだるやる気ない病でした。 えらそうにストレスについてインストラクションしていながら、当の本人がうまくストレス対処ができなかったのです。本当に情けない。 しかし、気が滅入るから何もやる気が起こらない、ではどうにもならない。 でも今回は私の今までの人生中1番か2番くらいの落ち込み、かなり根が深かったので、 できるだけそのほかの日常の些細なストレス、要するにどうにかなるストレスをできるだけ遠避けて、放っておけるものは放ったらかしでした。つまりこのブログもその範疇ということです。そんな状態の人間に、人様に読んでいただけるような情報を発信するパワーもあるはずもない。愚痴ブログなんて嫌だしね! 私のここ数カ月は極めて穏やかなもの。 5年ほどずっと忙しくてできなかった好きなことなんかをいろいろやりました。 例えば…まめにヨガに通って体を動かし、マニュアル本的なものではなくて、小説を読み、映画を見に行き、友達とランチをし、友達のパン教室に行ったり、糠漬けを始めたり、そうじをしたり、子供の学校行事に参加したり、友達に手紙を書いたり、英会話を勉強したり、TVゲームをしたり…。 こうやって書いてみると、結構出歩いていて、なーんだ、全然落ち込んでないじゃん!と言われてしまいそうですが、いやいや、違うんです。しょっちゅう気は滅入って盛り上がれないし、こう、何というか、体の芯に力が入らない、後詰め後詰めでしか動けなかったのです。でも最近は、元気満タンの時に比べると、効率悪いし、ゆっくりとしかできなくても、徐々に回復してくるのを感じて、自分はこのストレスを克服できると思えるようになりました。 最近はちょっと興味のあるセミナーに行ったり、先日は、有田焼でお世話になっている作陶家の西原さんが日本橋の高島屋で展示会された(終わってしまってからですみません!)ので、見に行ったり、1年がかりのマグカップの新作もあがってきたので、頭の中も心も、この秋晴れの空のように爽やかになってきた感あり、かな。 「忙」とは心を亡くすと書くんですよね。 もちろん福岡での活動はとびきり楽しかったけど、東京に来る前はあまりにも忙しかったし、自分でも無理をしているのはわかっていました。「忙しい」って言うのは、「私は心を亡くしています」って言っているようなものかもしれませんね。気をつけなくては! 本当に心の健康、メンタルヘルスって大切。病は気から。 これまで築いてきた人間関係、信頼関係、生活環境、仕事、それらがなくなってしまったからといって、私が前向きに生きられなければ、私自身の心の問題であっても、少なからず周りの人間、少なくとも家族には影響する。こういう時、問われるのは、心と体の土台、根本。自分でもぐらぐらなのがわかったので、避けられるストレスは全部避けた。何かのせい、ひとのせいにしていては乗り越えられない。自分が自分で変わらなければ。だるいときはひたすら寝・寝・寝、できるようになれば早寝早起き、ご飯をちゃんと食べて、適度に体を鍛え、きちんとていねいに毎日生活することで土台を改善させてこれたように思います。頭ではこうすべきとわかっていても現実はそう簡単ではなかった。1年近くかかってしまいました。 今日はやっとブログも書けてよかった。 改めて、このブログを書いていて本当によかった。もっと早く見直せばよかった、この3年間を。いま全部読み直しました。もう失くしてしまって悲しいとは感じませんでした。確かにこの3年間はあったんだ、自分の中に生きているんだと。これまで出会ってきたたくさんの方が応援してくださったことを思い出せました。 そろそろだるだる病は卒業しますね! 2008年 01月 26日
今日は子供たちと映画「アース」を見てきました。
最初から最後まで、迫力の映像。よく撮れたなあ!と、最新の映像技術に驚嘆。 地球が46億年かけて育んだ大地と、地球に住む動物達の生命が溢れていて、 見終わった後、地球に住むすべての生き物を守りたいという気持ちが湧いてきました。 地球はまだこんなに美しいんだ。 地球温暖化はまだ間に合うんだ!と信じて、 自分には何ができるか?少しでもやっていきたいと思いました。 制作に5年かけた素晴らしい、今まで見たことないドキュメンタリー映画です。 是非映画館で。本当にお勧めです。
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